二千五百年の時を越え、仏教がいまここに完成する

第1章 釈迦の生涯

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第1章 釈迦の生涯

 
 釈迦は紀元前500年頃、現在のインドとネパールの国境付近にあった小国、釈迦族の王子として生まれました。本名は「ゴータマ・シッダールタ」といいます。本書では一般によく用いられる「釈迦」の呼び名を使うことにします。釈迦は他にも「ブッダ(仏陀)」、「釈尊」、「釈迦牟尼」など様々な呼ばれ方をします。ちなみに「仏陀」とはもともと「目覚めた人」という意味で、釈迦の固有名詞ではなく、悟りを開いた人をさす一般名称です。

 釈迦の生誕については、これにまつわる有名な伝説が残っています。彼は生まれた後すぐに立ち上がって7歩き、右手で天を、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊(この世界において私はもっとも優れたものである)」と宣言したというものです。「唯我独尊」は日常的にもよく耳にする言葉ですのでご存知の方も多いと思います。もちろん生まれたばかりの赤ん坊が歩いたりしゃべったりするはずはないので、この話は釈迦の生誕の様子を神格化したものではありますが、このような話がまことしやかに現在まで語りつがれること自体、釈迦がいかに偉大な人物であったかということを物語っています。

 彼は釈迦族の王子として、何不自由なく育てられました。彼のために、夏・冬・雨季とそれぞれの季節専用の宮殿が用意され、そこで美しい女性たちに囲まれ、毎日のように宴会が催されたと伝えられています。

■ 人生の苦しみを知る

 そのような優雅極まりない生活を送っていた釈迦ではありますが、彼は青年になるにつれ人間の老・病・死の苦しみを知るようになり、人生について強く思い悩むようになります。その様子を示す「四門出遊」という有名なエピソードがあります。四門とは城の東西南北四方にある門を指し、四門出遊とはそれぞれの門から釈迦が城外にでたときに起きた次のようなエピソードです。

 まずある日、釈迦が東の門から郊外に出ると、老いて腰のまがった老人を見かけました。彼は常に宮殿内で過ごしていたため、そのような老人を見たことがありませんでした。御者に「あれは何者か」と尋ねると、御者は「老人です。人はみな長く生きるとあのようになるのです」と答えました。「私もいずれあのようになるのか」と釈迦が訊くと御者は「もちろん王子とて歳をとればあのようになられます」と答えます。これに驚いた釈迦は動揺し、外出を取りやめて城内に引き返してしまいました。

 また別の日、南の門から外に出ると、今度は痩せ衰えた病人に出会いました。これまで病人も見たことがなかった釈迦は、前回と同じように御者に尋ねると、「人はみないずれ病気になり、あのような姿になります。王子とていずれはあのような姿になります。」と答えます。これを聞いた釈迦はまた城内に引き返してしまいました。
 さらに西の門から城を出た日に、死んだ人が横たわっているのを目にします。初めて死人を見た釈迦は、御者から、人はみな死から逃れられないということを聞き、やはり城内に引き返しました。

 最後に、北の門から出た日に、出家した修行者に出会います。今度は御者から、出家することの功徳についての説明を聞き、とても感銘を受けました。そしてその日は城へ引き返すことなく、そのまま遊園にでかけました。
 以上が「四門出遊」のエピソードです。これも相当脚色が入った話ではありますが、老・病・死に憂いた釈迦はこのころから、出家して修行者になることを考え始めます。

■ 6年間の苦行の日々

 そして29歳のとき釈迦は妻と一人息子を残して城を出て行き、ついに修行者となります。
 出家した釈迦は禅定の修行を行いました。禅定とは瞑想によって様々な精神的境地に到達すること目指すものです。彼はまずアーラーラ・カーラーマという禅定家に弟子入りしました。そこで修行をつみ、極めて短期間のうちに、師が提唱する「無所有所(むしょ・うしょ)」と呼ばれる無念無想の境地に到達できるようになりました。無の境地を得ることで師と同じレベルにまで達した釈迦ではありましたが、「このまま修行を続けてもその先に覚りの境地はない」と判断を下し、師のもとを去ってしまいます。

 次に彼は、別の禅定家ウッダカ・ラーマプッタのもとを訪ねます。そこでまた修行を積み、「無所有所」よりさらに深い無の境地とされる「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」という境地をこれまた短期間のうちに体得してしまいます。
 しかし、この境地の先にもやはり覚りはないと感じた釈迦はまた師のもとを去ります。
 その後、禅定そのものに見切りをつけた釈迦は、5人の仲間とともに苦行を始めます。彼らがおこなったのは断食を主とした苦行でした。これを6年間も行い、最後には骨と皮だけになるまでやせ細りました。しかしそうまでしたにも関わらず、やはり覚りを得ることはできませんでした。
 「この道もまた違う」と感じた釈迦は、6年間続けた苦行もあっさりと放棄する決断をします。

■ 菩提樹の下で覚りを開く

 釈迦は苦行をやめて5人の仲間と別れた後、ネーランジャラー川で身を清め、アシュヴァッタ樹の下で一人瞑想に入ります。そしてこのとき、深い瞑想の末についに求め続けていた覚りを開きます。釈迦が35歳のときでした。
 ちなみに、釈迦が覚りを開いたことから、このアシュヴァッタ樹は「菩提樹(悟りの樹)」と呼ばれるようになりました。このときの菩提樹はもう残っていませんが、釈迦が覚りを開いた場所とされるブッダガヤの金剛座の横には今も菩提樹が植えられています。また覚りを開いた後も、釈迦は何日間も瞑想を続け、解脱の喜びを存分に味わったといわれています。
 瞑想を終えた釈迦は、自らが覚った理法を人々に説く活動を開始します。まず初めに苦行生活をともにした5人のところに戻り説法を行いました。この初めての説法に対しては「初転法輪」という名前がつけられています。釈迦の説法を聞いた5人は彼の教えを信受し、弟子となります。こうして釈迦を師とする仏教教団ができあがり、その教えを広めるための布教活動がスタートしたのでした。

 その後釈迦は入滅するまで45年間にわたり、現在のインドとネパールにまたがる地域を旅しながら説法を行ってまわる、という生活をつづけました。その間、地位や身分によらず多くの信者を集め、仏教を一大教団にまで築き上げました。
 そして80歳のとき説法の旅の途中で体調を崩し、2本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に北枕の方向で横たわり、息を引き取ったとされています。

 
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