二千五百年の時を越え、仏教がいまここに完成する

第4章 科学仏教

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第4章 科学仏教

 
 前節まで釈迦仏教について解説をしてきました。ここからは釈迦仏教とは異なる新たな仏教について述べていきます。

 釈迦が生きていた紀元前5世紀と私たちが生きている現代とでは、人々の生活環境や人生観も大きく異なっています。釈迦の時代に即して説かれた教えを、今でもそのまま使っているというのでは、当然時代に合わない部分も出てきます。現代は科学技術が高度に発達した時代なので、それにマッチするように、釈迦仏教の教えも再定義・再解釈される必要があると思います。そこで本節では、現代の科学技術との融合が可能であるような新しい仏教を提案します。

 大乗仏教の一つに数えられ、日本における最大規模を誇る宗派の一つに浄土真宗があります。その浄土真宗誓教寺の住職藤本晃氏の著書に「浄土真宗は仏教なのか?」という本があります。その冒頭において藤本氏は「(浄土真宗の)教義がちょっと仏教っぽくない」と述べています。祈りによって救われるという点ではキリスト教に似ているため、大乗仏教自体が「阿弥陀仏の救いで極楽浄土に行ける、という創作仏教ではないか?」といったような批判にさらされる懸念もあると指摘しているのです。そして、浄土真宗はこの問題に正面から向き合う必要があると述べています。

 もちろん宗教の教義に対する批判はつきものです。どの宗教、宗派であっても同じような状況でしょう。このような批判にはふつうは取り合わずに無視することが多いのですが、藤本氏は自分たちの信仰に対する批判に真摯に向き合い、客観的な視点で、浄土真宗の教義の問題点に対する検証・考察を行っています。(なお補足しておくと、藤本氏は「浄土真宗は仏教ではない」と主張しているわけではありません。同書では、浄土真宗が釈迦の教えを受け継ぐ正当な仏教であることが示されています。)

 私は釈迦仏教についても、藤本氏の指摘と同様のことがいえるのではないかと考えています。

「釈迦が覚ったというが、その内容さえはっきりしないんでしょう。そもそも釈迦の覚りなんて作り話ではないんですか?」
「釈迦は宇宙の真理を覚ったというけど、経典のどこにその真理の内容が書いてありますか?」
「釈迦は神通力を得たというけど、そんな超能力みたいなものを本気で信じているのですか?」

というように、浄土真宗の場合と同様の批判や疑問に対し、真摯に向き合い答えを出す必要があるのではないでしょうか。

 なお、この疑問に正しく答えるためには、何も「経典にかかれていることは全て真実で揺るぎないものである」という前提に立つ必要はありません。特に仏教の場合はキリスト教と違って絶対的な権限をもつ、聖書のような聖典はないからです。この状況について、宗教学者の島田裕巳氏は「(仏教の)すべての経典は『偽経』である」と述べ、仏教には聖典が存在しないことを指摘しています。(※「世界の宗教がざっくりわかる」島田裕巳著)

 そもそもがこのような状況ですので、経典の中に矛盾点があるならば今からでもそれを正していけばよいですし、考え方が現代にあわないというのであれば、経典の解釈や教義そのものをバージョンアップしていけばよいのです。またこのような改変が許されること自体、仏教の大きな特徴でもあります。ただし何でもかんでも都合よく変更して、「これこそ釈迦仏教の本来の姿だ」などといってしまうと根拠のない嘘になってしまいます。したがって改変した場合はその旨を明らかにし、改良版の仏教であることを銘打っておく必要があります。

 以上のような考えに基づいて、本節では先ほどの疑問に正面から向き合えるような改良版の仏教を提案します。本書ではこれを「科学仏教」と呼ぶことにします。

 では以後、科学仏教の考え方について述べていきたいと思います。まず釈迦仏教から科学仏教へと改訂するにあたり、その基本的な方向性は「釈迦仏教を人類全体版の仏教へと拡張する」ということです。どういうことかというと釈迦仏教とは、修行者個々人が釈迦の教えをもとに覚りの境地を目指すものでした。これに対し科学仏教では、人類全体を一人の修行者と見立て、「人類全体が悟りに向かうその道筋はどのようなものか」を説きます。

 もともと前著「人類の一生」は、個々人の人生に対して用いられる「一生」という言葉を人類全体に当てはめ、「人類の一生」を考える、という趣旨で書かれたものです。この手法を本書でも引き継ぎ、仏教に対して同様の試みを行うことにします。

 以下では釈迦仏教と科学仏教を対比させ、その相違点を見比べながら科学仏教の中身について述べていきます。

(1)「一切皆苦」について

 釈迦は「この世の一切は苦である」と説きました。しかしこの認識は、釈迦が生きていた当時のインドにおいて一般的とされていた考え方です。したがって今の時代にはもう合わなくなってきている、と私は思います。もちろん「人生は苦しみだらけだ」と考える人もいるでしょうが、釈迦の時代に比べると明らかに物質的には豊かになっていますし、サービスなど非物質的な面においても以前より充実しています。

 したがって現代では「人生=苦」と捉える人の割合は減り、逆に「人生=楽」と思っている人の方が増えているはずです。仏教に興味をもち、仏を敬う気持ちをもつ人が減ってきているのは、この楽多き世の中へと変貌していく中で「何かに救いを求める」という必要性がなくなってきていることの表れだと思います。

 そこで科学仏教の基本とする世界観は、この現在の状況をありのままに受け止め「この世は苦あれば楽あり、幸福と不幸は入り混じって存在する」という認識に立ちます。

(2)煩悩

 釈迦仏教では煩悩を苦の原因とみなしました。物欲や色欲はもちろん愛さえも苦をもたらす煩悩とみなされ、覚りを開くにはそれらを克服することが必要だと説かれました。
 これに対し科学仏教では「適度な欲求は善である」と考えます。もちろん、欲望や快楽を過度に追求することは、脳科学で証明されているように依存症を招き、新たな苦しみを生む原因にもなります。しかし適度の欲望や競争心などは人間にとって活力源であることは明らかです。したがって「いかなる場合でも欲望は抑えるべきだ」というような無理な考え方はしません。

 また人類全体という観点から見ても、人間の欲望は科学技術や文明を推進させる原動力です。そもそも科学技術は人間の「楽をしたい」というずぼらな願いに答えるべく発展してきたという一面も持っているからです。したがって欲望は悟りにとって排除すべきものではなく、むしろ悟りを開くために必要不可欠な存在と考えます。

(3)無明と智慧

 科学仏教における無明とは「個人の無知」ではなく「人類全体の無知」を指します。例えば文明が生まれる以前、何万年も前の状態を振り返るならば、その時代は明らかに人類にとって「無明の時代」と呼ぶことができます。また科学技術が発達した現在でも、私たちはこの世界の全てを知っているわけではありません。いまだに戦争が無くならないことや、自らの住む地球環境を温暖化などによって破壊していることも、これまた人類の無明の現れといえるでしょう。

 また釈迦仏教でいう智慧とは、ものごとを正しく見きわめ、解釈する力のことです。これに対し、科学仏教における智慧とは「科学技術によって真理を見通す力」を指します。

 また「智慧」を「智」と「慧」に分けて説明する場合もあります。「智」とは世界や人間に関する真理を理解することを指し、「慧」とは真理を実践知として体得することを指します。また別の言葉で表現するならば、理屈として頭で理解することを「智」とし、瞑想による精神的な理解を「慧」ということもできるでしょう。

 科学仏教においても、このような解釈に従うならば「智とは科学であり、慧とは技術である」と説くことができます。つまり「智」は、世界を理解するための数学、物理学、化学、また人間を理解するための医学、哲学、心理学、生命科学、脳科学、遺伝学などによって得られた知識を指します。

 一方で「慧」を担うテクノロジー(技術)によって科学の理論を実践、体感することができます。つまり理論としての知を、技術によって実践知へと昇華させることができるのです。例えば「電磁気学」という理論は本や講義を通して理解することができますが、それだけでは、ただ単に頭で理解した知識にとどまります。
 しかしテクノロジーによって無線機を作り、実際に電波を飛ばしてみれば、電磁気の存在を実感することができ、頭だけではないより深い理解が得られます。同じく、生物学や遺伝学を学べば、遺伝の仕組みやDNAの役割などを頭で理解することができます。さらに、その知識を使って実際に遺伝子を操作し、生物の進化を促進するならば、それは生物に対する実践的な理解へと繋がっていくことになります。

 さらに究極的には、科学技術によってこの世界を意のままに動かせるようになれば、それはまさに「この世の真理の実践的理解」であり、「智慧の完成」ということができるでしょう。

(4)滅諦

 前節で述べたように釈迦仏教では苦を滅す(滅諦)ということが一つの重要な目標でした。そのために「智慧によって無明を消す」、すると「煩悩が消える」、するとさらに「苦がなくなる」という縁起に基づく理論が展開されたのでした。

 科学仏教においては、いかにして苦をなくすかというと、前著で説明したストーリーがそのまま適用できます。つまり人類が生物革命や技術的特異点を越えていく過程において、科学技術が直接的に老・病・死を滅してくれます。

 さらには生きていく上で不便なこと、厄介なこともすべて科学技術が解決されるので、生きる苦しみ自体も無くなくなります。結果として「生・老・病・死」の四苦、さらには「愛別離苦」などを合わせた四苦八苦のすべてはなくなります。

(5)涅槃(ニルヴァーナ)

 涅槃という概念は、前著で示した人類のゴールと極めてよく符合する概念です。釈迦仏教における涅槃とは「全てを吹き消した状態」であり、そこに静寂はあるが幸せはない、という言わば「死」のような状態です。前著で示した「人類のゴール」も、全てを達成して究極的に安定した状態であり、そこに幸福はないということが示されています。

 また、仏教の涅槃は「いかなる束縛(とらわれ)をも脱し、自由になること」とも説かれます。同様に人類のゴールとは「全ての制限を解除し、完全なる自由を獲得した状態」でした。

 したがって科学仏教における涅槃とは「人類のゴール」と同じものと考えることができます。そして釈迦仏教と同様に、科学仏教では人類が悟りを開いたあとは涅槃に至ることになります。

 ただし科学仏教では、釈迦仏教とは異なり、次のプロセスを経て涅槃に至ります。

 まずは先に述べたように「この世界は苦楽が混在するもの」という認識からスタートします。その上で科学技術の智慧をもってすれば、人々の苦しみを消すことができます。次にこの世から苦しみ(不幸)が消えれば、同時にこの世から幸せも消えます(前著参照)。さらに幸せが消えれば「幸せへの欲望(煩悩)」もなくなります。そして、これらの欲望(煩悩)がなくなれば、それらに基づく行動が消えます。行動が消えれば最終的に何もない「究極の安定状態(涅槃)」が訪れることになります。

 ここでのポイントは、釈迦仏教では「無明の消滅」→「煩悩の消滅」→「苦の消滅」というプロセスを経るのに対して、科学仏教では「無明の消滅」→「苦の消滅」→「煩悩の消滅」というプロセスとなり、「苦」と「煩悩」の順番が逆になっている点です。
 また、苦しみを滅したらそのあとには幸せだけが残りそうですが、前著で述べたように最終的には幸福もなくなってしまいます。つまり科学技術がすべての苦しみを取り除き、またすべての欲求を叶えることで、結果的に人々の心にはいかなる欲望も生じなくなり、同時に幸福という概念も消えてしまうのです。

 以上が科学仏教の基本的な考え方です(図2参照)。つまるところ科学仏教とは、前著で紹介した「涅槃へと向かう人類の一生」を、仏教という枠組みを使って捉え直したものです。

 ここで科学仏教を、これまでの仏教の発展の歴史の中に位置づけて考えてみます。すると次のように解釈できます。

 まず釈迦仏教は、修行者が各自でそれぞれに修行を積むことによって覚りを目指す宗教です。したがって覚りを得るための方法も釈迦によって明確に示されています。つまり「釈迦が説いた法を理解し、さらに瞑想によって実践的、体感的にそれを理解する。そしてこの2つが完成すれば覚りに至る」とされています。この意味では非常に具体的で現実的な路線を行く宗教と言えます。

 しかしその反面、(能力のある人が)頑張って修行すれば誰でも(神でなく人間でも)覚れる、ということになります。そのため覚りを開くことがどの程度すごいことなのか、という点が今一つはっきりしません。事実、釈迦の初弟子である5人の修行者は、釈迦の説法を数日間受けただけで覚りを開きました。その後も何十人という大勢の人達が覚りを開いています。

 これに対し、釈迦仏教の発展形として生まれた大乗仏教では、覚りや涅槃の定義をいわゆる神のような最高レベルにまで引き上げてしまいました。例えば「覚り=宇宙の根本原理、究極の真理を知った状態」などとしています。したがってその境地にいる仏は、人間としての釈迦その人ではなく、例えば密教における大日如来や奈良の大仏で知られる毘盧遮那仏など架空の仏です。

しかし、ここまで覚りのレベルを引き上げてしまうと今度は現実離れしてしまい、「普通の人間が覚るのは到底不可能」ということになります。したがって覚りに至るための道を明確に示すことができなくなってしまいました。(なお大乗仏教には六波羅蜜という修行方法もありますが、ここには宇宙の真理を知り、覚りを得るための具体的な方法は示されていません。)

 これらに対して科学仏教では、涅槃の定義を大乗仏教と同じく「宇宙の根本原理」や「全知全能」に非常に近いところに置きつつも、そこに至る方法を「科学技術の実践である」とし、人間が悟りに至る道を明確に示しています。

 
【次へ】 第5章 釈迦の覚り -科学仏教としての解釈-

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