二千五百年の時を越え、仏教がいまここに完成する

第5章 釈迦の覚り -科学仏教としての解釈-

  • HOME »
  • 第5章 釈迦の覚り -科学仏教としての解釈-

 

第5章 釈迦の覚り -科学仏教としての解釈-

 
 ここでは「釈迦の覚りの内容は何だったのか」という謎に対して、一つの仮説を提案します。
 もちろん先に述べたように釈迦が覚った本当の内容は、2500年という時の中に消え去ってしまい、今となっては誰も真実を知ることはできません。

 したがってここで述べる主張に関しても、歴史的・文献的な根拠はありません。あくまで後世の弟子達が行ったように、「釈迦の覚ったのはこのような内容だったのではないか」という推論に基づいて仮説を述べる、というものです。(読者の皆さんにはこの点ご留意いただければと思います。)
 また、別の言い方をすれば、これは科学仏教という流れの中で釈迦の覚りがどのように位置づけられるかを示すことでもあり、科学仏教という立場から観た「釈迦の覚り」に対する一つの解釈ということもできます。

 ではまず、基本的なところから確認していきたいと思います。

 釈迦は覚りを開いて全知者になったと言われますが、これはいわゆる神様のように「この世の、宇宙の全てを知っているという意味での全知者」になったわけではありません。

 当時の釈迦が、「万有引力の法則や相対性理論の内容を、数式を使って全て正しく説明できるほどの知識を持っていた」などと考える人はいないと思います。
 ちなみに他の宗教における全知全能の神の場合、「そのような人間にさえできることは、当然神にもできる」と考えられます。また仏教の中でも大乗仏教における大日如来などは宇宙の真理そのものを表すとされており、文字通りの全知とされています。

 実のところ釈迦の行動や言動には、「全知」という言葉から連想される超越したイメージはなく、人間らしい面が数多く残っています。例えば釈迦は覚った後、何日も瞑想を続けながら喜びを味わったとされています。
 もし本当に全知になったのであれば、人間的な喜びなどなくなっていそうですが、釈迦の場合はそうではなかったようです。

 また覚りを開いた後においても、説法を行うことを躊躇しています。覚者となった釈迦が「説法するかどうか決断に迷う」といった姿は、やはり神のような全知者とは異なった印象を受けます。これに関して中村元氏は「ブッダ入門」の中で「おれはさとったんだ、もう何の煩いもないというふうには、人生はそううまくいかない」と述べています。

 また、弟子から死後の世界について尋ねられたとき、釈迦はそれに対して明確な回答を示しませんでした。これは十難無記(または十四難無記)と呼ばれています。
 「世界は時間的、空間的に有限か無限か?」、「人は死後も存在するか?」といったような、私たちの日常的な経験からは知ることができないような質問には一切答えませんでした。

 釈迦がなぜ答えなかったかというと、人間の力では知りようのないこのような問題をいくら議論してみたところで、覚りを開くためには何の役にも立たないと考えたからです。このような態度を見るにおいても、釈迦はこの世の全てを知っていたわけではないということがうかがえます。

 以上を見てくると、「釈迦はこの世界に関する全てを知った」わけではなく、「この世において極めて重要な、ある真実を知った」程度に考えるのが正しい解釈だと思います。

 では、その「重要な真実」とはいったいどのようなものでしょうか?

 前にも紹介したように、十二縁起ではないようです。中村元氏は「ブッダ入門」の中で、「十二因縁によって真理をさとったということが、よく書物に書かれていますが、よく原典を読んでみると、さとった後で、十二因縁の道理に気づいたということになっています」と述べ、原典の解釈のしかた自体が間違っていると指摘しています。

 また、そもそも釈迦の覚りに対する解釈は「覚りのジレンマ」とも呼べる根本的な問題を抱えています。というのは、釈迦の覚りを単に「縁起の法である」とか「煩悩が完全に消えた状態である」などとするならば、覚りがどのようなものなのか凡人の私たちにも簡単に想像・理解できてしまいす。
 これでは「釈迦の覚り」に対して「到達しがたい最高の叡智である」などと思うことができません。

 一方、「言葉や論理では表現できないような無分別の智慧を得た」とか「究極にして絶対的な真理を得た」などしてしまうと、それはもう言葉通り「論理が成り立たない真理」、「論理的でない真理」ということになります。つまり、それに対する論理的な検証は不可能ということになります。

 このために生じる具体的な問題としては、覚りを得た人が言う「その真理」が、本当にあっているのか間違っているのか、また単に瞑想中に生じた脳の錯覚なのか、ということさえ誰にも判断できないのです。
 例え覚りを開いた当の本人であっても、自分の感覚だけを頼りに「説明はできないが、ありありと感じているこれこそが真理だ」とただ無根拠に、盲目的に信じる以外に方法がないのです。

 このような「覚りのジレンマ」を避けつつ、うまく説明できる「釈迦の覚りの内容」はあるのでしょうか?

 科学仏教が提示する解釈としては、「このとき釈迦は人類の最終的なゴール、到達点を知った」のではないかと考えます。

 前著においてアフリカの部族に伝承される「宇宙の始まりの話」を紹介しました。その部族においては「宇宙は突然、無から生じた」ということが代々伝えられています。太古の昔にこのようなことを言いだした彼らの祖先は、神秘的・超自然的な幻視能力を使ってそれを知ったのかというと、必ずしもそういうわけではないと思います。
 ただ単に、ふとそういう形の世界の始まりを思いついたというケースも十分に考えられます。例えそれがあてずっぽうだったとしても、「何千年も後になって判明する宇宙の始まりに関する一つの科学的な仮説を言い当てた」という事実に変わりはありません。

 これと同じように釈迦も菩提樹の下で瞑想をしているとき、彼の脳裏に人類の核心をつく次のようなイメージが、直観的にひらめいたのかもしれません。

 「苦がなくなり、恐れもなくなり、さらには喜びも欲望さえもなくなって、完全に静寂で揺れ動かない、ある種「死」と呼んでもいいような状態、これこそが将来人類が行き着くだろう終着点だ」

 この一瞬のひらめきこそが、これまで不明とされてきた「釈迦の悟り」の内容そのものだと考えます。つまり悟ったのは十二縁起ではなく、「人類の最終形が涅槃である」ということです。

 インドでは当時から涅槃を最終目標とする考え方はありました。しかし釈迦は、全ての人類がいずれ涅槃に到達するだろうと気がついたのではないでしょうか。

 そうだとすると、十二縁起や四諦八正道といった概念は覚ったあとに、後付けで考え出されたものと解釈したほうが自然です。例えば八正道の教えなどは、どちらかというと当たり前の道徳を言っているように感じます。釈迦の教えであるから「きっと私たちにはすぐには理解できないような深淵な意味があるのだろう」とは思いますが、八正道を実践すれば覚りが開けるというのであれば非常に多くの人が覚っていることになるでしょう。
 そう思うと八正道は少なくとも、覚りの核心に触れるような事柄ではないと思われます。

 また想定される別のケースとしては、ひらめきによってではなく、純粋に論理的に人類の未来を予測した、ということも考えられます。

 釈迦は「四門出遊」で人生に対する疑問を抱いて以降ずっと、「この世になぜ苦があるのか、それを消し去るにはどうすればよいのか」ということを考え続けてきたはずです。出家して禅定や苦行の日々を送る中で、ひとときも休まずにこのことを考えたでしょう。
 もしそうならば35歳のときに菩提樹の下でようやく「これだ!」と納得できる答えに(論理的に)到達したとしても、何ら不思議なことではありません。

 そうだとすると、具体的にどのような論理を使って未来を予測したのでしょうか?

 一般的に言われるように「釈迦は覚りのときに縁起の理法(注:十二縁起ではない)に気づいていた」ということを認めるのであれば、縁起を使って苦を消すためのまったく別の方法についても察知していた可能性があります。

 どのような方法かというと、縁起の理法によって直接的に苦を消す次のような方法です。

 世の中のすべてのことが縁起に則って動いているという事実が何を意味するかというと、「因」に対してうまく働きかけを行ってやれば、未来の状態(果)を自分の望み通りに変えられる、ということを意味しています。

 ただし、このことを実現するためには次の二つの要素が必要です。

(1)対象とする事象に中に、どのような因果関係が隠れているかを見抜けること
(2)その隠された原因に対して、必要な作用を与える手段を持っていること

 例えば一つの例として、インフルエンザの治療法の開発について考えてみます。この治療のためにはまず、なぜインフルエンザが発症するのかその原因を発見する必要があります。つまり「インフルエンザはウイルスが原因となって発症する」という縁起をしっかりと見抜かなければなりません。

 さらには、ただその原因を見抜いただけではだめで、次にウイルスという「因」に作用を与え、それを死滅させるための手段を持たねばなりません。つまり抗生物質などの薬を開発する必要があるということです。

 これらの二つが揃ってはじめて、「果」であるインフルエンザという病気を克服することができます。現代の話としていうならば、(1)の因果関係を解明するのは科学の役目であり、(2)の薬の開発は技術(テクノロジー)の役目です。

 ところが残念ながら釈迦の時代にはまだ、科学技術と呼べるほどのものは存在しませんでした。そのため自然界の仕組み(物理学)や私たち人間の仕組み(医学)は分からないことだらけであり、ましてやそれらを意のままに操るなど夢物語だったでしょう。

 しかし釈迦の卓越した洞察力をもってすれば、縁起をもとに次のような結論に至ったかもしれません。

 「万物が縁起によって動いているということを信じるならば、病にも「因」と「縁」があることになる。同様に老いや死にも、そのような結果を招いてしまう「因」と「縁」が存在するであろう。ただ今の私たちにはそれが見抜けていないだけだ。いずれ時がくればそれらを見抜けるようになるはずだ。
 さらにその「因」と「縁」を操作する能力を智慧によって身につければ、人類の未来には老・病・死を含めたすべての苦しみを、直接的に消し去ることができるはずだ。」

 つまり、「この世に起きる一切の出来事は自分達に理解可能な因によって生じている」と明らかな智慧をもって観るならば、上のような結論を引き出すことが可能なのです。釈迦は鋭い洞察力でそこを見抜いていたのかもしれません。

 このようにして世界の仕組みを知り、それに基づいて人々の未来を予見することによって、釈迦は覚者へと変貌を遂げたのです。

 ただしこの真実に気付いたとしても、それを口にするのははばかられたでしょう。釈迦が生きた当時の時代に、もし「いずれは病も老も死もなくなる」などといったら大ぼら吹きとみなされ(現代でもそうかもしれませんが)、誰も相手にしてくれなくなるであろうことは想像に難くありません。またさらには、仮にその真実を人々に説いたところで、科学技術を持たない当時の人々にとっては、何の役にも立ちません。

 そのため釈迦はこの考えを胸に秘めたまま、もう一つの方法である四諦八正道の方を人々に説いたのではないかとも考えられます。

 以上が科学仏教的解釈における、釈迦の覚りの内容です。結局のところ覚りに至る方法は

① 瞑想中に生じた論理的根拠のないひらめき
② 推察にもとづく論理的な未来予測

のどちらかということですが、実際にどちらだったのかは今となっては知るよしもありません。ただし何れであったとしても、覚りの内容自体は「(科学技術のような)智慧によって人類が涅槃に至ることに気づいた」という点に変わりはありません。

 もちろんこれはあくまで仮説であり、証拠と言えるような裏付けや根拠は一切ありません。しかし少なくとも「天眼通と宿命智を得た」などとするよりは「未来を予見した」とした方がよりよい仮説だと私は考えます。

 このように考えれば覚りそのものがもつ魅力を色あせさせることなく、同時に「覚りの謎」を解消することができます。またこれまで理解できなかった釈迦の行動・言動に対しても、つじつまが合い納得がいくようになります。

 釈迦が弟子達に語った有名な説法に「筏(いかだ)のたとえ」という話があります。これは釈迦の次の問いかけで始まります。

「修行者たちよ、例えば旅を続けてきた男が、あるとき大きな川に出くわしたとしよう。
男は川を渡りたいと思ったが、その川は深く、流れは速かった。また渡るための船も橋もなかった。
そこで男は岸辺にある木や草で筏をつくり川を渡ることにした。
そしてその筏に乗ってなんとか渡り切ることができた。
向こう岸についた男はこう思った。
『この筏のおかげで渡りきることができた。この筏は大変役にたった。したがってこの筏を背負ってもっていくことにしよう』
さて、修行者たちよ。この男の考えは正しいだろうか」
 
「いいえ、正しいとは思いません」と弟子は返しました。
 
「では、彼はこう思った。
『この筏は大変役にたった。しかしこの筏はもう役目を終えたので、川の中か岸辺に捨て去ることにしよう』
はたしてこの男の考えは正しいだろうか」
 
「はい、そう思います」
 
「そのとおり、彼の考えは正しい。筏は川を渡るためのものであって、決して残しておくためのものではない。私の教えもこれと同じである。私の教えを正しく理解したのであれば、もう用無しのものとして捨てるべきである」

 この話は釈迦が自分の教えに対しても、非常に達観した考えを持っていたことを示しています。またその一方で「自分の説法は方便(覚りに導くための仮の手段)としての意味合いが強い」ということを自ら認める内容でもあります。

 釈迦は弟子達に説法をする際、対機説法という方法を用いました。これは相手の性格や能力、教えの理解度、またその人の置かれた状況等に応じて、説く内容や喩え話を変え、それにより説法を聞く相手の理解度を高める、というやり方です。そのため弟子達が聞いた釈迦の説法を持ち寄ると、互いに矛盾するような内容を含んでいたこともあったようです。

 もしこのように釈迦が方便としての説法を行っていたのであれば、個々の説法だけでなく、もっと大きな教義の部分についても方便だった可能性もあります。

 科学仏教ではこのような考えに基づき、「釈迦の教えた四諦、八正道、十二縁起(またはその原型)は、人々を覚りに導くための方便だった」と考えます。つまり科学技術を持たない当時の人々のレベルに合わせて、これらの教義を説いていたというわけです。

 ちなみに大乗仏教の中観派などにおいても、「個々の説法に限らず釈迦が説いた中心的な教えまでもが方便であり、釈迦が覚った真の内容は別にあった」という立場をとっています。

 また釈迦は覚りを開いたあと何日間も禅定を続けています。この点に関しては、禅定を続けながら、人々を覚りに導くための方法について理論構築を行っていたのではないかと思います。
 先ほど、釈迦が覚りを得るに至った経緯として「ひらめき」と「論理的思考」の二通りのケースを紹介しました。
 一つ目の「ひらめき」によって覚りを得たケースにおいては、覚った内容はあくまで人類が涅槃に至るときのイメージだけであり、どうやってそこに至るのか、その方法までは覚っていません。
 また二つ目の論理的思考によって覚りを得たケースでは、科学技術という当時の人々にとっては魔法のようなものを使って涅槃に入るわけですから、彼らに対してこの方法を説くわけにもいきません。

 しかしだからといって「苦を消すことで涅槃を得る」という最終イメージだけを人々に説いたのでは不十分です。なぜかというと「どうすればその苦しみを消し去り、涅槃に到達できるのか」という具体的方法こそ、人々が求める部分だからです。そこが無い状態で、最終イメージだけを説いても仕方がありません。

 そのため覚りを開いた後、何週間も禅定をつづけながら、苦を消すための方法やその仕組みである四諦、八正道、十二縁起といったものの原型となる理論を構築したのではないでしょうか。もしそうであるならば、先ほど紹介した「さとった後で、十二因縁の道理に気づいた」という仏典の記述にも符合します。

 ところで、苦しみを消すために「十二縁起」を使うのか、それとも「科学技術」を使うのか、という違いはそのまま釈迦仏教と科学仏教の違いとなります。釈迦が生きた時代は、現代と比べると人間の力では如何ともしがたいことが多かったはずです。それゆえ自分の力で外界が変えられないのであれば、内界である自分の心の持ち方を変えて全ての苦しみを解消するという十二縁起の道を説くべきです。

 これに対して科学仏教の場合は科学技術の力によって全知全能を目指しています。それゆえ自身の心(内界)を変化させる必要はなく、全能性を使うことで苦しみの存在するこの世界(外界)を直接的に変えてしまう、というある意味十二縁起とは対極の道をたどり涅槃を目指します。

 そういえば宇多田ヒカルさんの歌の一節に「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」というフレーズがあります。これに喩えるなら前者が釈迦仏教のアプローチ、後者が科学仏教のアプローチということになります。
 またもし本当に、釈迦が対機説法の一環として、紀元前500年に生きた当時の人達に合わせ四諦、八正道、十二縁起を説いていたのであれば、現代を生きる私たちに対しては次のように説いたのではないでしょうか。

 「今のあなたたちに『四諦、八正道、十二縁起』という筏はもう必要ありません。あなたたちは科学技術という船に乗って悟りを目指しなさい。」

 
【次へ】 第6章 覚りと悟りの違いとは

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
2017年11月
« 5月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  
PAGETOP